ギリシャ・アテネ:ある家族の物語

イザルディン(63)、その妻ラウダ(57)、息子アーマド(30)の3人は、世界の医療団が毎週開催するアートセラピーへの最も熱心な参加者たちです。

ギリシャ・アテネ:ある家族の物語
「家族のように私たちを受入れ、接してくれる世界の医療団には感謝しています。ここで再び、人間の温かさを感じることができました。」

今年1月、彼らはシリアを発ちました。シリア最大の都市には爆弾が雨のように降り注ぎ、彼らが住んでいた街は壊滅しました。

ギリシャ・アテネ:ある家族の物語
シリア人権監視団の発表によると、7月31日から8月31日にかけアレッポ市内とその周辺では、約600人の市民(うち217人が子ども)が命を落とし、多くの女性や子供を含む負傷者が続出しています。

美術の学位を取得したイザルディンは、ダマスカスで空間プロデューサーとして活躍していました。「政治から離れ、沈黙し、仕事にひたすら打ち込むことが、シリアで私と家族が生き残る唯一の方法でした。一方である日、弾圧や汚職が続く日々にシリアの人々の怒りが噴火する火山のように爆発しました。」

そして今、彼が愛したシリアでは、多くの芸術が破壊され、あまりにも多くの人々が命を失いました。

ギリシャ・アテネ:ある家族の物語
戦争で家を失い、一家はヨーロッパへ逃れる決意をしました。彼のアトリエだった地下室で、脱出する日を待ちわび、一家は4年を暗闇の中で過ごすことになりました。

「地下室で4年を過ごし、トルコへ逃れました。そこには、隠れる必要がない生活があり、トルコへ入国してから1ヶ月、幸運にも作品を売って暮らすことができました。そして欧州への国境が閉鎖されるという噂を聞き、急ぎたどり着いたのがここギリシャのピレウス港でした。」

アーマドは先天性の身体障がいと精神障がいを抱えており、この港町に到着してから15日間もの間一睡も出来ませんでした。「非常に厳しい状況でした。たくさんの人々がコンテナの周囲で眠り、そこら中で騒音が鳴り響いていました。息子は四六時中怯えていました。」ラウダは当時を振りかえりました。

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「世界の医療団のスタッフの1人がそんなアーマドを見つけ、ここに私たちを連れてきてくれたのです。もし私たちの他の子どもがドイツにいないとはっきりしたら、ギリシャにとどまることになるかもしれません。」

携帯電話の光が彼女の顔を照らし、彼女の指は写真をスクロールし続けます。

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「私の今の一番の願いは息子マフムードに会うこと、そして彼には本来あるべきの暮らしの中で生きていってほしいのです。彼はまだ16歳で、母親が必要です。」

イザルディンはアートセラピーに参加したことがきっかけとなり、ドイツに到着することができたら現地でも同様のプログラムを開催し、難民をサポートする活動に携わっていきたい、そう話しました。

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