東日本大震災:現地医療活動レポート7

桜のように

東日本大震災:現地医療活動レポート7
3月11日の震災からもうすぐ3か月になろうとしている。私が被災地に入ったのは4月3日なので今日(6月3日執筆)でちょうど2か月。町も人々も少しずつ変化を見せている。自衛隊の大活躍で道路をふさいでいた大きな瓦礫は撤去され、鉄骨や木材などに分別されて数ヶ所にまとめられた。倒壊のおそれがある半壊した家々の多くも解体された。交通費自己負担・手弁当で集まった多くの市民ボランティアは浸水した家屋の片づけを手伝い、2階で暮らしていた被災者も1階で住めるようになった。浸水したはずの桜並木は信じがたい生命力で5月初め満開に咲き、葉を出し、例年のごとく散った。今は山々の緑が日に日に深く目に刺さる。そのような町の変化を毎日のように見ながら私達は避難所や個人宅を巡回し、こころのケアにあたっている。

町が変化していくように、人々のこころにも変化があらわれている。
「本当にいいお嫁さんだったのよ・・・」長男の嫁を亡くして涙する母親。
「お隣さんはみんな流されちゃった・・・俺らはまだいい方、家は無くなったけど家族全員無事だから」
震災当初、被災された方々からお話いただく内容は、亡くした家族や友人、失った家や財産のことがほとんどだった。

「父親のいるときはおとなしく、いなくなった途端に家族に当たり散らす兄を見ているのがイヤ。家では気が休まらない。ここにいる方が落ち着く」と言う避難所の副リーダー。

今はむしろ、元々あった自分の病気、家族との確執、避難所暮らしのストレスなど、「なくした」ものに対する反応から「現実にある」ものに対する反応へと変化しているが、これはある意味、人々の気持ちが前に向かって歩き出した兆候ともとれる。

町や人だけでなく、私たちも変わる時期に来ている。県立大槌病院や地元開業医の診療再開に伴い、日赤と青森県医師会などを残して、ほとんどの医療チームは患者を引き継ぎ撤退した。それまで週3回の巡回診療を受けていた避難所は週1回になり、週1回だった避難所は巡回終了となった。これまで届けてもらえた処方薬も、6月からは自分たちで地元調剤薬局に受け取りに行くことになる。保険証がなくとも無料で受けられる臨時措置も6月で終了、7月からは地元医療機関に自ら受診しなくてはならない。

岩手県精神保健福祉センターや釜石保健所、他府県チームとともに行っている「こころのケア」も他府県は徐々に規模を縮小し、7月にはチームが再編成される。私たちMDMは大槌町全体のアウトリーチ(巡回)を担当することになった。今月は多くの仮設住宅が完成し1000戸近い入居が見込まれている。避難所暮らしと違い、飲酒量の増加と孤独・孤立などが懸念される。

枝先まで津波に浸かったにもかかわらず何事もなかったかのように咲き、散っていった桜は人々に強いメッセージを残した。避難者(患者)も少しずつ従来の生活、従来の精神状態に戻していかなくてはならないが、自分たちでは解決できないことも沢山ある。住民の方々が少しでも早く元に戻れるよう、もう少しお手伝いさせていただこうとカルテを膝に乗せ、車を走らせている。

医療コーディネーター 形成外科医 森岡大地

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