©MdM

世界の医療団 ガザの心理士ヌールの日記-「私は治療する。私は崩れる。私は支える。私は壊れる」

世界の医師団の心理士ヌール・Z・ジャラダは生まれも育ちもガザです。フランスの新聞『リベラシオン(Libération)』でガザの日常について語っています。完全版はこちら(仏語)>>




21ヶ月以上、私は容赦ない戦争の渦中で生きています。私はメンタルヘルスの専門家ですが、ここではその肩書きだけでは足りません。ガザでは、一つの役割だけ担うことはできないのです。私はセラピストですが、同時に、死者を悼む女性であり、子どもたちを守ろうとする母親であり、愛する人を失った娘であり、戦争に打ちひしがれた心理学者でもあります。そして他人の痛みを背負う、傷ついた魂でもあります。言葉では表現できないほどの恐怖の証人でもあり、血を流す介護者であります。私はこれらの役割すべてを同時に担い、それを分けることは決してできません。私は治療し、崩れ、支え、壊れるのです。

避難民キャンプで働き始めて以来、私たちは一度も通常の状況で仕事をしたことがありません。病院は爆撃され、医療従事者は殺害されたり逮捕されたりして、診療所は空っぽになり、道路は遮断されています。それでも、私たちは前に進んでいるのです。それは職業上の義務からだけではありません。人間性からなのです。毎朝、私たちは震える心で子どもたちにキスをします。今日が最後になるのではないかと恐れながら。
そして、テントの中、避難所の片隅、あるいは廃墟の真ん中で、心理療法のセッションを始めます。


崩壊した日常を生き抜く


私自身の見方も変わりました。私たちの生活は崩壊しました。私は日常という概念をすべて失いました。泣きながら歩くことを学び、生きている人たちを助け続けるために、死者を心の片隅に葬ることを学びました。死から逃げることも学びました。21ヶ月間、来る日も来る日も、苦しみを重荷のように背負い続けてきました。瓦礫の下に埋もれた人々のために、私は祈り続けています。しかし、私はまた、思いもよらない強さも見出しました。神への信仰と、私たちの人々の尊厳を信じることが、この想像を絶する苦難を乗り越える力を与えてくれています。

私は、生きることなど不可能に思える土地で、生き抜く術を学びました。数日間分の水を節約する方法。最低限の必需品なしに生活する方法。子どもたちに空腹に耐える力を教える方法。ある友人が、彼女の息子が他の多くの子どもたちと同じように「お腹が空いた」と訴えたと私に話してくれました。しかし、母親の目に映った悲しみを見て、彼は「ごめんね、ママ。お腹空いてないよ。悲しまないで」と謝ったのです。息子は母親ために、自分の苦しみを否定しようとしていたのです。私たちは、子どもが空腹であることを謝らなければならないような世界に住んでいるのでしょうか?

私たちは、静かで落ち着いた診療所で仕事をしているわけではありません。混雑したテントや破壊された学校の中で、少しでも希望を広めようとしているのです。ここでは、子どもたちはミサイルについて、他の人が朝食について話すのと同じように話します。慣れ親しんだ恐怖から生まれる、奇妙な日常性とともに。それなのに、この地獄の中で、私たちは依然として中立であることが求められています。しかし、残虐行為に直面して中立であるとはどういう意味でしょうか? 血の匂いを決して忘れないだろうと知りながら、子どもたちの肩に手を置いて「大丈夫だよ」と言うべきでしょうか? あらゆる物音や影に危険を感じる人たちに、どうやって安全について語ればよいのでしょうか?


人々を癒す存在であること


心理療法のセッションの中には、沈黙だけが流れるものもあります。しかし、私たちの存在だけで十分なのです。そこにいること、証人となること、誰かの悲しみに寄り添い、それを癒そうとはせずに、ただそばに座っていること。それもまた、癒しの力になるのです。何日も泣いた後の、子どもの笑顔。パニックからようやく解放され、安らぎを取り戻した女性。自分の話に耳を傾けてくれたことに感謝する老人。こうした、はかなくも貴重な瞬間が、私たちを支えてくれています。

私たちは悲しみに暮れているだけではありません。私の周りには、日々深い感銘を与える力を持つ同僚たちがいます。誰もが、身近な人の死という悲劇を胸に抱えています。それでも、彼らは働き続けています。心優しいある医師は、一回の爆撃で家族全員を失いました。言葉では表現できないほどの痛みにもかかわらず、彼は治療を続けました。人々に手を差し伸べ続けました。自らの悲嘆の只中でさえ、彼は私たちを支えてくれました。私たちがまだ持ちこたえている理由を、彼は思い出させてくれたのです。別の医師は娘を、また別の医師は夫を失いました。そして私たち全員が、例外なく、すべてを失いました。家も、街も、思い出も、愛する人たちも。それでも、私たちは立ち向かっています。苦しめられ、打ちのめされ、飢えながらも、痛みよりも大きな何か、つまり、人々に対する深く揺るぎない愛に駆り立てられているのです。私たちは、心に残っているものをすべて仕事に捧げています。

状況によって時には診療所を避難せざるを得ないこともあります。そんな時、人々が私たちをどれほど頼りにしているかと思うと罪悪感に苛まれます。しかし、その罪悪感は弱さではありません。それは私たちの献身の度合いを示すものです。その痛みもまた、私たちを支えてくれる原動力となっています。

仲間たちの目は、悲しみをたたえた勇気が宿っています。私たちは、支え合い続け、終わりは必ず来ると信じています。正義は必ず訪れる、私たちは生きるに値する、と信じています。では、どう信じ続ければよいのでしょうか? むしろ、どうして諦めることができるでしょうか? 諦めることは、闇に打ち勝たせることを意味します。確かに、私たちは疲れ果てています。しかし、まだ倒れてはいません。なぜなら、ガザは廃墟が散らばる土地だけではないからです。それは、燃えさかる火の粉と回復の土地なのです。人類が、最も深い闇の中で輝き続ける土地なのです。私たちはまだここにいます。そして、共に、生き、癒えていくでしょう。詩人エリア アブ マディは私たちに思い出させてくれます。「絶望とは、裏切ること。希望を夢見て生きて死んだ人々を裏切ること」と。


7月24日掲載 Libération

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最新記事

参加する

世界の医療団は皆様からの寄付・
ボランティアに支えられています。