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福島そうそうプロジェクト:人のいる風景を創る

東京電力福島第一原子力発電事故によって飯館村、浪江町に出されていた避難指示が2017年3月31日、帰還困難区域を除く区域で解除されました。
飯館村の避難者数は住民登録人口の約9割近く、浪江町は9割以上となっています。(4月末現在、福島県発表の避難者数と住民登録人口をもとに算出)。

福島そうそうプロジェクト:人のいる風景を創る
  解除後の地域の様子と支援現場について、世界の医療団の現地パートナー「相馬広域こころのケアセンターなごみ( 相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会 )(以下なごみ)」の伏見さんにお話を伺いました。

福島そうそうプロジェクト:人のいる風景を創る
なごみは視察など行っていたものの、行政機能をはじめとした解除後の混乱が収まりつつある今月より本格的に支援活動を開始しています。
飯館村の学校は来春再開予定、うどん店が唯一営業再開、8月には道の駅がオープンする予定です。避難している人たちの間には、人がいるのであれば戻ろうか、本当は戻りたい、の感情の揺らぎが垣間見えます。2016年の復興庁の住民意向調査では、3割強の住民が戻りたいとの結果が出ています。
現在、地区ごとの状況と支援の対象者を把握するために、村の保健師さんに同行し一軒一軒訪問しています。今月よりサロン活動が始まりました。サロンは常に多くの参加者で会場がいっぱいになります。季節的に山菜がよく話題にあがり、山菜を食べる住民のみなさんの喜びを感じます。
「飯舘村の放射能は高い、でも全域が除染されるわけではない。土手は除染されず、土手に生えた草を動物が食べてしまうため、刈らないわけにはいかないが、刈ってもごみが増える一方とのこと。除染していない場所の草は燃やす事も禁じられているとのことですが、そんな話をする姿からも、黒いフレコンバックが溢れる村であっても、帰還された皆さんが飯館を愛していらっしゃることが感じられました。」世界の医療団の医療ボランティアが、先日飯館村のサロン活動で耳にした話について語っています。

福島そうそうプロジェクト:人のいる風景を創る
浪江町は、復興商店街ができて、仮設の診療所が出来ました。院内処方のため、薬局を心配することはありません。先日、新聞の折込チラシが入っていたことをうれしそうに話しているのを聞きました。震災前の日常が少しずつ戻っているのでしょうか、その気持ちが伝わってきました。

避難指示解除になって2ヵ月半、改めて被災地におけるサロン活動が果たす役割の大きさを実感しています。
サロンの開催には、チラシなどを作り、配布します。私たちも住民も、個人情報の観点から誰が帰ってきているのかの把握ができていません。サロンの場に参加して、誰が帰っているのか知ることがあり、そこで「遊びに来てね」などという会話が聞かれます。集会所の利用がわかれば、そこから住民主導の新たな活動につながることもあります。南相馬市の復興公営住宅で運営するサロン活動では、年間のメニューを組み、社協など各団体との連携を深めながら、手探りではあるがコミュニティ再構築の呼び水の役割を果たせたかと思っています。
医療人材の不足が問題になる中、南相馬市で准看護師の学校が4月に再開するという明るいニュースがありました。医療の現場だけでなく、福祉の現場でも人材の不足が挙げられています。
在宅介護になるような人は圏外に移らざるをえなかったり、提供側もデイサービスの回数を減らすなど対処しているようです。ここでも地域のサロン活動がより活発化し、デイサービスにとって変わるような形になればと思っています。

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