©Médicos del Mundo

ウクライナでの支援活動

ウクライナでは課題がありますが、世界の医療団のネットワークを通じた活動によって状況は前進しています。世界の医療団のチームは物流のノウハウや経験があるおかげで、病院に医薬品を届けたり、人々の心理的なサポートを拡大したりと、さまざまな活動ができています。

救命救急のための医薬品供給


医薬品供給
©Médicos del Mundo
世界の医療団は、命を救う医薬品を医療施設に届け、数万人の人々に貢献しました。すでに医薬品は15の医療施設に供給されました。さらに29の医療施設に資材を手配しています。

4月12日には、さらに6つの救急医療キットが海外からウクライナに送られました。これらのキットには、それぞれ1万人の3ヶ月間の基本的な医療用品が含まれています。このキットは、ウクライナ全国の厳選された医療施設に送られる予定です。

これまで、ウクライナ東部のリスクの高い地域(ドネツク行政区、ルハンスク行政区)の一部の医療施設に、民間輸送手段を利用して医薬品や医療材料を供給することに成功しています。さらに、外傷キットを含む3つのキットが準備できており、緊急時には50人の集中治療患者に外科的治療ができます。

さらに、非感染性疾患用のキットを含む70以上の緊急キットと20の外傷用キットが現在購入されています。すべての注文は、各医療施設や病院のチームが徹底的に検討し、事前に選定されました。



医療ケアの直接提供


チェルノフツィ州とドニプロ州では、援助物資保管所に移動診療チームが出向いて、最も弱い立場の人々に支援が届くようにする予定です。

チェルノフツィ州では、家庭医、助産師、心理学者、薬剤師からなるチームが、4月14日から毎日訪問し、診察や基本的な医療サービスを提供しています。

移動支援チームは、アクセスに制限のある最も脆弱な人々に対して、予防・治療ケア、無料の医薬品、専門医への紹介など、プライマリ・ヘルスケアが受けられるようにします。



精神保健・心理社会的支援


世界の医師団は、ドネツク州およびルハンスク州で被災された方々への心理的・社会的支援を継続して行っています。この活動は、チェルノフツィ市とチェルノフツィ州内の2つの集団シェルターで行われています。チェルノフツィ市内のオフィスに、心理学的な個別相談とグループ相談の時間を設けました。


現地スタッフインタビュー:非常事態下に働く


バシャール・カイラニ(Bashar Kailani)は、世界の医療団のコーディネーターで、ウクライナの医療施設と病院の医薬品などを確保するために活動しています。インタビューをお読みください。

バシャール・カイラニ
©MdM

戦争が勃発したとき、世界の医療団のウクライナのコーディネーターであるバシャール・カイラニは、ウクライナ入りしてまだ3週間しかたっていませんでした。彼の任務は突然変わり、予期せぬ課題が生じました。インタビューでは、一時的な避難がどんなものであったか、現在どのように支援体制を構築しているかについて語っています。

Q. バシャールさん、あなたはウクライナに来る前はシリアで活動していましたね。この経験は、特に戦争の勃発後、あなたの活動に役立ちましたか?

A. 現在の状況にどう対処すべきか、シリアでの経験でたくさんのことを学びました。状況が悪化したとき、このようなことに一度も直面したことがない人が陥るようなパニックの感覚はありませんでした。経験を積むと、ずっと落ち着ついていられます。避難するときにも大いに役立ちました。もちろん深刻な状況でしたが、私には今何をすべきか、明確でした。


Q. チームが避難するとき、どのような課題があったか教えていただけますか?

A. 移動中で最もたいへんだったのは、ドニプロからヴィーンヌィツャまでの区間でした。ガソリンがあるすべてのガソリンスタンドには、長蛇の列ができていて、一度に20リットルしか手に入れることができませんでした。しかし、そういうことはシリアの経験ですでに私の頭の片隅にありました。だからタンクは満タンにして、いつでも行ける準備をしていました。十分な水と食料も用意し、私たちがやるべき重要な仕事の書類も持っていました。ただ、砲撃や空襲を避けるために、たくさんの回り道をしなければなりませんでした。途中で、燃料があとわずかになってしまいました。最も緊張した瞬間は、戦闘機が私たちの頭上を飛んだときでした。攻撃された場所には黒い煙があがっていました。


Q. チームは当初、無事にルーマニアまで逃げることができましたね。国境を越えるのは難しかったですか?

A. チェルノフツィからルーマニアに行こうとしたとき、国境付近に約12kmにわたって車が渋滞していました。私たちはオフロード車を持っていたので、未舗装の道路を迂回することができました。私たちが別の国境地点に着いたとき、何百人もの人々が歩いて待っているのを見ました。そのほとんどはインド人とアフリカ人の学生です。彼らは国境を越えることを許されなかったのです。凍えそうでした。この地域の小さなスーパーマーケットやレストランには食料品はほとんど残っていませんでした。ウクライナ人でない人々は、トイレを使うこともお茶を一杯飲むことも拒否されました。かれらの何人かは、暖をとるために近くの森で焚火をしていました。私たち4人のチームは、交差点で約16~18時間待たなければなりませんでした。私たちが夜、車の中で眠っていたとき、人々が国境を越えないよう、国境警備隊が空中に向けて威嚇発砲する音で起こされました。


Q. 今、あなたはウクライナに戻って、病院や保健センターに緊急に必要な医薬品を届けることに取り組んでいます。なぜこの活動がこれほど難しく、時には長い時間がかかるものであるのでしょうか?

A. 医薬品をすでに購入しているのに届いていない病院もあります。戦争がサプライチェーンを混乱させたので、どこかの倉庫に置いてあるままなのです。輸送会社のトラックは破壊され、燃料は手に入れることが難しいのです。また、一部の路線が長くなっているため、料金が高くなっています。さらに、トラックの運転手が国を離れてしまっているか、特定の場所に行きたがらないのです。そして、高速道路の多くは一方通行で、いくつかの地域から移動してきた多くの国内避難民で、渋滞しています。通常約8時間かかる移動が、2倍の時間がかかっています。


Q. 世界の医療団はどのようにして医療施設に医療材料を届けているのでしょうか。

A. これらの課題に対処するには、多くの民間供給会社や地域社会の多くの組織との大規模なネットワークを構築する必要があります。たとえば、ドネツク州の病院がキーウから重要な透析装置を入手するのを手伝いました。戦争が勃発したとき、病院はすでに透析装置を購入していましたが、状況が変わったので、運送会社が運ぶことができませんでした。そこで、キーウの倉庫から商品を受け取り、ドネツクに持っていってくれる配送会社を見つけました。



< 世界の医療団を応援する >

すでに多くの方に世界の医療団をご支援いただいき、私たちが活動できていることに厚く感謝申し上げます。また、引き続きのご支援をよろしくお願いします

*世界の医療団へのご寄付では、所得控除または税額控除の寄付金控除が受けられます。
*世界の医療団は、受け取った寄附金を特定の支援プロジェクトのみに充てることなく、頂戴した寄附の総額を支援活動全体に分配することを原則としています。







  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最新記事

参加する

世界の医療団は皆様からの寄付・
ボランティアに支えられています。