©Kazuo Koishi

世界難民の日によせて -無国籍の難民ロヒンギャの証言

世界難民の日によせて
*ロヒンギャ・ボランティアの安全の為画像を一部加工しています

世界難民の日を前に、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプから、支援団体の私たちもが思わず笑顔になるようなニュースが届きました。ラマダン明けを祝う祝祭「イード」の祝日、キャンプの住民たちは自由にキャンプの外へと出ることができたのです。

バングラデシュ政府の粋なはからいに、支援する側も一様に驚きを隠せずにはいられませんでした。
世界の医療団でボランティアとして活動するロヒンギャ・ボランティアの彼らも、バングラデシュへと逃れてから初めてキャンプの外へと出たのです。人々は束の間の、思い思いの外出を楽しみ、キャンプへと戻ったことでしょう。



なぜこれほど多くの人が難民になったのか?

昨年8月の衝突からこれまでバングラデシュへと逃れたロヒンギャ難民は70万人を超え、2017年8月以前の流入数と合算すると90万人に近い数字が報告されています(2018年6月現在UNHCR)。今回の危機は、ロヒンギャ系武装勢力による襲撃に対するミャンマー軍の報復、武装勢力の掃討作戦が発端だと言われています。火を放たれて村が丸ごと焼かれてしまった、略奪行為、レイプなどの性暴力、そして銃殺、撲殺、ナイフなどによる刺殺などが、ロヒンギャの人々からの証言として挙げられています。ミャンマー・ラカイン州のロヒンギャの人々が居住するほとんどの地域でミャンマー軍によるそうした暴力行為が実行され、人々は命の危険を感じ、バングラデシュへと逃れてきたのです。ラカインで起きたことは、ジェノサイド・虐殺だと彼らは証言します。


キャンプでの暮らし

大量流入から、もうすぐ1年が経とうとしています。多くの支援団体が入るものの、キャンプでの生活は困難が続いています。配給される食糧は米、豆類、食用油など、野菜や魚、肉などを手に入れられる人は一部のみで、栄養失調状態のロヒンギャ難民も多くいます。衛生環境も然り、たとえばトイレやシャワーなどいまだその数は足りなく、女性は宗教上の理由や慣習から自由にならないことも多く、健康への影響が心配されています。初等教育などは、支援団体によるサービスがありますが、中等、特に高等教育にいたっては教育を受けることすらできません。モンスーン期に入った現地では、先々週、大きなモンスーンの被害に見舞われました。災害に備えてはいたものの、竹と土などで組み立てられたシェルターは崩壊したり、また土砂滑り、浸水の被害が報告されており、犠牲者も確認されました。感染症については、まだ報告はありませんが、キャンプの衛生状態からその発生が懸念されています。そしてキャンプの人々は、キャンプの外へと出ることはできません。

©Arnaud Finistre

ロヒンギャの人々はいつから難民なのか?

ロヒンギャの人々への迫害は、昨年から始まったことではなく、その歴史は40年前に遡るともされています。1978年には国土浄化作戦として、20万人のロヒンギャが難民となりました。ビルマ連邦独立後から30年後の1982年、国籍法が制定されましたが、ロヒンギャはビルマ連邦の民族として認められることはありませんでした。今日まで、ミャンマー政権はロヒンギャを民族として認めることなく、無国籍の民としてその人権は段階的に侵害されてきました。彼らは証言しています、ミャンマーでの教育、医療、移動の自由さえもない日々を。祖国であるはずの国さえも自由に移動できず、大学にも進むことはできません。2015年以降は支援団体の介入もなくなり、飢えに苦しみ、医療についてはもはや受けることさえ不可能に近い状態です。出産はもちろん、命に関わる症状であってもなす術なく、人々は苦しむ姿を見守ることしかできない状態であったと。意見する者、SNSなどを通して発信を試みる者、メディアなどに情報提供しようとする者、知識階層などは投獄されたり、虐殺されてしまったと、ロヒンギャの人々は証言しています。
ミャンマー政府とバングラデシュ政府、国連や国際社会による帰還プロセスが進む中で、ロヒンギャの人々が口にするのは「ミャンマーに帰りたい、命の保障と市民権が与えられるのであれば」。彼らのいう市民権 ー安心して暮らすことができる土地、教育、医療、仕事、移動の自由、言論の自由、そして宗教の自由、これまでロヒンギャ族の人々はそれらを持たずに生きてきたのです。ロヒンギャと名乗ることさえも許されなかった。

「帰還なんかじゃない、単なる送還、また収容所に移動させられるだけだ」あるロヒンギャ族の青年の言葉です。


ミャンマーに残る人々

元々の人口統計がないため、正確な数字は不明ですが、大多数のロヒンギャがバングラデシュへと流出したもののまだミャンマーには数十万人のロヒンギャの人々が多く残っています。老いや障がいなどの理由で、監視の目から逃れながらバングラデシュへと到達できなかった人々、生き別れになった家族を遠くミャンマーから探す人々。想像を絶する世界、そこはまさに収容所といえる環境下での生活に、またひとつ、家族との別れという苦しみが彼らに降りかかっています。現在、国連など国際社会からの人道的介入ができないため、ミャンマー・ラカイン州に残るロヒンギャ族の人々には医療、教育、食料さえも支援を届けることができません。それらがない生活を余儀なくされている人々が、今、この現代に、地球で、アジアで、存在します。彼らは移動することさえもできません。発言することも、外部に助けを求めることも。
ロヒンギャの人々は話します。「国際社会からの支援には感謝しています。でもこれから本当に必要なのは、ミャンマーで市民として生きていくための支援です」

難民とは

現在、世界の難民は6,850万人、110人に1人が難民(UNHCR2017年統計)との報告がありました。世界の医療団はシリアで、イエメンで、アフリカで、ヨーロッパ全域で、そしてバングラデシュで、医療を中心とした難民支援活動を行っています。
難民の定義とは一体なんでしょうか? 1951年の「難民に地位に関する条約」では「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と定義されています。この定義からしても、ロヒンギャの人々は紛れもない難民と言えます。国籍を付与されることのない彼らの自国とはどこなのか、自国を彼らがいう母国・ホームランドとするならば、自国にいても迫害を受けているロヒンギャの人々も存在します。彼らは難民ですらないのでしょうか。バングラデシュへと逃げてきたロヒンギャ族の人々は難民、自国にとどまる人は国内避難民になるのでしょうか、でもそこに彼らの国籍はありません。
世界の難民数6,850万人という数字は、昨年から300万人以上も難民が増えている試算になります。その中で無国籍であり迫害を受けている人々、そして”自国“にいながら迫害を受ける、受ける恐れのある無国籍の人々は一体どのくらいいるのでしょうか。

世界の医療団日本 プロジェクト・コーディネーターの具の言葉です。
「ロヒンギャ・ボランティアと働いていると、彼らがあまりにも早熟で強く優しく頼もしいので、その姿に無意識のうちに希望を見出し、勝手に安堵してしまうことがあります。
でも、彼らはみな心身ともに痛みを負っている人たちだということ、その人たちの中にも大きな格差があり、四面楚歌の如く痛みの連鎖から抜け出せない人が居続けるということを忘れてはいけないと改めて感じました」

イードの休暇を終え、MdMのロヒンギャ・ボランティアがキャンプへと帰っていきました。彼らはなぜ移動の自由がないキャンプへ戻っていかなければならないのでしょうか。その姿に、不条理としか言えない現状が重なりました。

難民とミャンマーで迫害を受けるすべての人々に思いをよせる機会になることを願って。

世界の医療団日本 証言活動担当 石川 尚




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