東日本大震災:福島そうそう現地医療活動レポート15

今回は、直近での避難指示解除が予定されている福島県南相馬市小高地区の集会所で、帰還住民のために健康運動実践指導者として活動している小松原ゆかりのレポートをお届けいたします。

東日本大震災:福島そうそう現地医療活動レポート15
 福島県南相馬市の中には原発20キロ圏内に自宅があり今だに戻れない場所がある。私が南相馬市を初めて訪れたのは2016年3月、ごく最近である。震災から5年目を迎えたこともあって多くのマスコミが報道をしていたが、車窓から見えたのは除染作業をする車両と積み重ねられた大きな黒い袋の山であった。もう5年も経ったと思っていたが、実際はまだなにも復興していなかったという事実に言葉を失った。

 最初に訪れた時は人が少ない静かなまちという印象があったが、最近は次々と復興住宅が完成し、一般車両とすれ違うことも増えるなど確実にまちの印象が変わっている。協働するなごみ南相馬事務所のスタッフの車で同市小高地区まで移動する道のりで一面に広がる菜の花畑を見つけ、思わずシャッターを切った。この黄色い菜の花の横にある放射性セシウムと書かれた看板を目にし、また現実に引き戻されるような気がした。

 南相馬市小高地区に地域住民の交流スペース「おだかぷらっとほーむ(小高を応援する会)」がある。避難解除後の小高が選ばれし町となるべく、ひとりひとりが出来る事を持ち寄り、小高の未来を考えて行動するきっかけとなるような新たなコミュニティの構築を目指した場である。私はここで月に1度、セルフマッサージや日常できる簡単なストレッチを体験する「ぷらっとヨガ」の講師として活動をしている。参加者は地域住民だけでなく、支援者やたまたま小高を訪れた人、つまり誰でもぷらっと参加して構わないというコンセプトなのだ。

 今回、ぷらっとほーむを訪れたのは熊本・大分地方の震災から数日後のことであった。参加された方々はお茶を飲みながら「あの頃の記憶を思い出すと、熊本も避難所生活に慣れない今が一番しんどいんじゃないかと思う」「近所のコンビニにある募金箱にはお札が目立つ。壱萬円が入っていることもめずらしくない」と話している声が聞こえる。そして「あのころ助けてもらったから、自分たちも何か力になりたいとみんな思っているんだよね」と住民同士が語るのだ。2011年からこころのケア活動に参加しているが、住民自ら震災当時のことをこんなにも自然に語るのを初めて耳にした。

 ぷらっとヨガでは身体を緩めることで、ココロも緩めることを目指している。身体が緩むとぽつりぽつりと本音を語りだす。そこから自分でも知らなかった自身の真のニーズに気づくことが多い。今回のような震災当時の経験を語る会話が耳にできるようになったのは、やはり5年という時間がもたらしたものなのかもしれない。この日、おだかぷらっとほーむの廣畑氏より参加者全員プレゼントとして「モネフィラ」の苗をいただいた。「青は津波を思い出すから迷ったけれど、このモネフィラの青で小高の町を埋め尽くし、人が集まるまちにしたい」と笑う。この前向きな姿を見るたびに、支援に来ている自分自身が励まされることが多い。モネフィラと菜の花が咲く小高のまちをドライブする日が早く訪れることを願う。

健康運動実践指導者 
小松原 ゆかり

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