ガザ地区の世界の医療団ESスタッフであるAsmaの証言

ガザ地区の世界の医療団ESスタッフであるAsmaの証言
Asma「私たちは事態がすぐに変わるように毎晩頑張ってお祈りしているのです。Tasneem(彼女の19歳の長女)は設計図を描くために忙しくなる予定でした。彼女はデザインの分野で勉強を続けようと,ガザ地区では設計の研究がないため,外国へ行かなければならないのです。これが彼女の夢だったのですが・・・・でも今はこの悪夢が終わる事だけが彼女の唯一の夢なのです!私自身は生き延びた前回の戦争中,書くことに慣れていますが,今回は言葉もありません・・・・。」

ガザ地区の世界の医療団ESスタッフであるAsmaの証言
Asma:最近はひどい状況です。最も空爆が多い地域に住んでいるので,毎日私たちの建物から15~50mの場所に激しい空爆が少なくとも15回はあるのです。さらに私たちの地域は海のそばなので,海からの爆撃に怯えています。
Ale (世界の医療団フランスのアドボカシー担当者):非常に耐え難い状況ですが,私たちは他に何をすべきか分かりません・・・・。」
Asma:あなたからの多くの支えや声は届いていますよ。
Ale:それでも爆撃は止まないのです。爆撃さえ終わって欲しいだけなのに。早く終わらせるべきです。
Asma:私の子ども達も毎晩同じ思いです。

Asmaは6人の子どもの母親で,子ども達はTasneem 19歳 (製図家), O. 17歳, B. 15歳, S. 11歳, A. 7歳, A. 5歳です。

ガザ地区の世界の医療団ESスタッフであるAsmaの証言
末息子のAはコミュニケーション障害があり,話す事が困難でした。医師はAsmaに,妊娠中であった2009年の戦闘が原因であると言いました。しかし,ここ数日間の爆撃で怯えたため,Aは叫び声を上げ,以前より話し始めました。「今回の戦争が前回の戦争による傷を治したのでしょうか」Asmaはそう言って笑います。

今日はイード(ラマダン明け休暇)です。ガザ地区の生活が落ち着いている時は,Asmaの家族は干物の魚を食べるのですが,最近は誰も魚が手に入らないため,代わりにチーズを食べます。たとえ休戦となって爆撃が減少したとしても通りには誰もいません。遠く離れても,以前とは異なり爆音が聞こえるのです。今回のイードでは誰も通りに出ていません。ガザ地区が戦闘中でない時のイードは,通りは1日中遊ぶ子ども達であふれているのですが。

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