精神科医 小綿一平インタビュー 東日本大震災を被った同時代人として、必要とされる限り 支援を続けていきたい

精神科医の小綿一平先生がインタビューに応えてくださいました。小綿先生は福島そうそうプロジェクト現地医療活動にご協力いただいています。平成24年5月からほぼ月1回のペースで福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」で診療にあたっています。

精神科医 小綿一平インタビュー 東日本大震災を被った同時代人として、必要とされる限り 支援を続けていきたい ◆現在関わっているプロジェクトの概要について教えて下さい。
福島県相馬市の中心部に「メンタルクリニックなごみ」があります。ここは、福島県立医科大学医学部神経精神医学講座が中心となって立ち上げた特定非営利活動法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムをつくる会」が立ち上げたクリニックです。元々相馬市内にはメンタルクリニックがなかったのですが、震災後、福島第一原発により近い南相馬市他からの避難者を診療するメンタルクリニックが無いなどの諸般の事情から、このクリニックが立ち上がりました。全国から駆け付けた8名の医師が交代で診療にあたっています。私は世界の医療団の一員として、平成24年度から月に1回のペースでこのクリニックで精神科の外来診療をしています。外来診療の他、主に地域保健活動を行っている「相馬広域こころのケアセンターなごみ」のスタッフの方々と共に仮設住宅を訪問し、高齢者の方々の健康相談をおこなっています。また、啓蒙活動としましては、相馬市保健センターの依頼で、自殺ゲートキーパー講習会の講師をしています。


◆世界の医療団で活動をすることになったきっかけを教えてください。
東日本大震災の後、何か私にできることはないかと日々焦燥感に駆られていましたが、なかなか現地へ入る手立てはありませんでした。そのため当初は募金活動を手伝ったり、物資援助をしたりしていました。連休の時、他の団体の一般ボランティアに参加してやっと一週間石巻に行くことができました。泊まるところはもちろん無いので、テントを張って寝泊りし、がれき処理や側溝掘りをしました。ただ、できればメンタルケアでお手伝いできることがないかと考えていたところ、妻が新聞で見つけてくれた相馬市の「心のケアチーム」を知りました。更にネットで調べたところ相双地区(福島県新地町、相馬市、南相馬市、双葉郡)に精神科医が不足していることを知り、福島県立医科大学の丹羽真一教授(当時)がまとめ役をなさっている「心のケアチーム」と連絡を取って、その年の5月中旬に2泊で参加しました。これが実は後に「なごみ」の前身となるものです。福島県立医科大学付属病院の看護部長がコーディネーターとなって、全国から集まった精神科の医師が交代で公立相馬病院の精神科臨時ブースでの外来診療をおこないました。この病院には精神科は無いので、他科のブースを午後お借りしました。時間がある時には当時の避難所で診療にあたりました。この時の診療は単発の医療ボランティアでしたので、私としてはできれば継続的に支援できないものかと思っていました。

そうしたところ、世界の医療団が岩手県大槌町で精神科支援をおこなっていることを知りました。そこでいつかお役に立てることがあればと思い、世界の医療団に連絡を取りました。その後しばらくして世界の医療団から連絡が入り2012年2月、3月に打ち合わせを兼ねて担当者とともに相馬市に入り、その年の5月から外来診療に参加しました。震災の年にボランティアに参加した時は勤務医でしたので、連休に他の医師に協力して戴き担当を代わってもらいやっと支援に行ける状態でした。2012年の4月に私自身が開業したことで、時間の融通が利きやすくなったのは支援を続ける上で幸いでした。

精神科医 小綿一平インタビュー 東日本大震災を被った同時代人として、必要とされる限り 支援を続けていきたい
◆長期に渡って活動していく上で配慮されていることはなんですか。
診療に関して言えば、原則は日頃地元伊勢原市(神奈川県)での診療と大きくは変わりません。まずは患者さんお一人お一人のお話をしっかり伺うことだと思います。「なごみ」での診療の特徴は、土地柄もあってか、神経症レベル(適応障害、パニック障害、不安障害など)の患者さんは伊勢原などより少ない印象があります。もともと何らかの精神疾患をお持ちで震災前から遠方の他院に通い、「なごみ」ができたので転院してこられる方が多いのですが、そうした患者さんにも震災が影を落としています。各地を転々として戻って来られた方、他地域から来られて地元となかなか馴染めない方、東電との賠償交渉で疲弊された方等、お話をゆっくりお聞きしていくと直接間接に東日本大震災の影響が見られます。ですから、震災後の生活の変化やそれに伴うストレスの度合いにも気を配るようにしています。家族や知人にも話しにくいことを私たちのような第三者に話すことで、患者さん自身の考えや気持ちが整理されるということがあると思います。話して涙する方もいらっしゃいます。きっとそれまで心の中に溜まっていたものを出す場所がなかったのでしょう。心の悩みを話すという行為自体が一種の治療効果を持つと思います。つまり話すことで患者さん自身が自らを治していると言って良いかもしれません。そうしたお話を十分お聞きしたあとで、アドバイスや処方を行っています。すなわち私たちが行っている医療行為は、患者さんの自己治癒能力を手助けし賦活させることだと思います。


◆患者さんのケアの仕方で変わってきたことはありますか。
2011年の5月に避難所に往診した際、お子さんを津波で流されたお母さんのお話をお伺いしました。淡々と話される姿に、返す言葉もなくただ拝聴することしかできませんでした。私たち精神科医が何か特殊なマジックのような治療法を持っているわけではありません。

その後だんだん時間が経ってくると、周りの方との被災の仕方の相違、例えばうちは全壊だったけどあちらは半壊だとか、うちは親戚を亡くしたけれどあっちは全員助かっているとか、地域によって義援金、保証金が違うとか、そういう落差が住民の間に亀裂を生んだり、ストレスになってくることがあります。ですから、震災後の中長期にわたる生活の変化やストレスの度合いにも気を配ってゆきたいと思います。


◆これから先の課題、支援者へのメッセージ
機会あるごとに世界の医療団の活動をもっと多くの方々に知ってもらいたいと思います。医療団はどちらかというと息の長い支援にその特徴の一つがあります。こうした活動は、ともすると地味で目立たない側面があります。私も講演会などを行う際には、可能な範囲で医療団の活動を報告してゆきたいと思いますので、支援者の皆さんにもぜひPR活動を行っていただければと思います。また人的支援はもとより、中長期にわたる支援活動には資金が必要です。「なごみ」でも提供いただいた車両や機器が活躍しています。

ある震災ボランティアの方はとにかく10年続けましょうとおっしゃっていました。まだ大震災後10年の半分にも満ちていないので、この震災はそれだけ復興に時間を要するということです。その意味で今後とも人的、資金的両面での医療団へのご支援をお願いしたいと思います。 次に、ぜひ現地に行っていただければと思います。東日本大震災にしましても、平成24年の台風12号の紀伊半島大水害にしましても現地に行ってみないとそのすさまじさは分かりません。紀伊半島大水害では、地元の方のご説明で川幅が通常の数百倍になったことをお聞きしましたがにわかには信じられませんでした。ボランティアでも結構ですし旅行でも結構ですので、現地に立ち寄っていただいてその目で現状を見て、地元の方からお話を聞いていただければと思います。地元の皆さんとのひと時の交流や笑顔が何よりの励みになります。また、諸般の事情でなかなか現地へ行けない方もいらっしゃると思いますが、地元でできるボランティア活動も、支援物産展の手伝い、ビブスの洗濯、各種講演会への参加などいろいろあります。こうしてボランティアをできることは有り難いことだと改めて思います。

私もこの東日本大震災を経験した同時代人として、そして残念ながらこれからも発生する可能性のある各種災害において必要とされる限り微力ながら支援を続けていきたいと思っています。


福島そうそうプロジェクト現地医療活動とは

福島県の相双地区(新地町、相馬市、南相馬市、双葉郡)に設立されたNPO法人「相双に新しい精神科医療保健福祉システムを作る会」を支援するプロジェクトです。2012年2月より精神科医・看護師の派遣、医療機器の提供、福祉車両の提供等を行なっています。
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