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世界難民の日に寄せて:

ロヒンギャたちの証言、そして自画像「過去・現在・未来を生きる」

ロヒンギャ -彼らがミャンマーから一斉避難し世界最大の難民危機とまで呼ばれた2017年8月からもうすぐ4年。避難した70万を超えるロヒンギャの多くはいまだバングラデシュのコックスバザール近郊の難民キャンプに、あるいは孤島バサンチャール島にとどまっている。
私たち、世界の医療団とともに活動するロヒンギャのボランティアは、あの日から変わることなく母国ミャンマーへの帰還への想いを口にする。
外交情勢や自然災害、感染症、火事、バサンチャール島への移送、新たに今年2月に発生したミャンマーでの政変と現在も続く市民への暴力、あまりにも大きすぎる事象が彼らを取り巻くなかで、教育も移動の自由もないままに過ぎる4年の歳月を想像してほしい。


「過去・現在・未来を生きる」ロヒンギャの証言


アイシャ(仮名)

アイシャ(仮名)

ファティマ
(仮名)

ファティマ

ハロン

ハロン

ハシナ(仮名)

ハシナ(仮名)

ジョノット

ジョノット

サンジダ(仮名)

サンジダ(仮名)

アミナ(仮名)

アミナ(仮名)

ナシマ(仮名)

ナシマ(仮名)



アイシャ(仮名)「将来を見出せません」


今、ここで幸せを感じるのは、 みんなの笑顔を見ながら楽しく話すこと、みんなで楽しい時間を過ごせること。 大変なことは、キャンプに住むこと。ここはとても暑いし、汚くて臭い、とても混雑している。教育を受けることもできません。行きたいところがあってもどこへも行けません。

私は、この活動でコミュニケーションスキルのトレーニングを受けることができました。HIV、性感染症、新型コロナウイルスなど様々な病気について学び、意識するようにもなりました。キャンプの住民と自分の身をどう守るかを、知ることができました。

私たちがミャンマーに帰ることができるように、国際社会から声を上げてほしい。キャンプは治安も悪くなる一方で、子どもたちは教育もないまま過ごしています。将来を見出せません。

ミャンマーに早く帰りたい。子どもや家族、親戚と一緒にミャンマーに帰って、学校に通えるような普通の暮らしに戻りたいのです。


アイシャ(仮名)
過去・現在・未来の自画像



ファティマ(仮名)「自分の国ミャンマーに早く帰りたい」


ワライクムアッサラム(こんにちは)。
今は、高齢者を対象に健康教育を届ける活動をしています。NCDs(高血圧や糖尿病などの非感染性疾患)などの多くの病気についてを学び、キャンプの住民にそれらを伝えることができるようになりました。

みんなと笑い合ったり、集まって楽しい時間を過ごすことが幸せに感じる時です。大変に感じるのは、やりたいこともできず、行きたいところに行けないことです。ここは、とても暑く、どこも人が多い。治安も悪いので、いつも不安です。

私たちは、自分の国から逃れてここに来ました。自分の国ミャンマーへ早く帰りたいです。キャンプでは、ひとつもいいことがありません。子どもたちは学校に行けず、彼らの将来が心配です。


ファティマ(仮名)
過去・現在・未来の自画像



ハロン「難民としての生活は、困難の連続で恐ろしい日々です」


2018年1月にここへ来て、私はMdMの活動に参加するようになりました。最初は英語も話せなかったけれど、収入を得て、多くを学ぶことができています。もうすぐ活動に参加して4年になりますが、本当にたくさんのことを教えてもらいました。コミュニケーションスキルや保健医療の知識、ミャンマーにいる時よりも確実にそれらのスキルが向上したと思います。今、家族を養うことができ、ここへ着いた頃と比べると、なんとか生活と呼べる形になってきました。キャンプに着いた当初はつらくて、精神的にも苦しかった。ストレスを抱えた日々を過ごしていました。ストレスとの向き合い方も学びました。逃げる場所もなかったですから、対処するしかなかったのです。 

この脆弱な私たちのコミュニティへの支援をできるだけ長く続けてほしいです。
私に関していえば、活動の幅をもっと広げていきたいと考えています。私たちの活動地での医療アクセス、特に薬のアクセスの改善を望みます。特に高血圧、糖尿病、気管支炎などの既往症を持つ方たちは病院で治療を受けることも時に難しかったり、遅れてしまったりすることがあります。小さなクリニックがあって治療薬を定期的に手にいれることができれば、彼らの症状もよくなり不安も大分なくなると思うのです。それと患者自身が自分で血圧が測れるようになるといいですね。私個人としてもう一つ、教育が受けられる場所、日本や欧州などの国に住みたいです。

難民としての生活は、困難の連続で恐ろしい日々です。身の安全さえありません。教育もない、働くことができない、移動の自由もありません。
キャンプは騒がしく、人が多すぎます。つらいのです。
ミャンマーに帰ることは、今は叶わないと感じていますから、他の国へ行きたいとそう思っています。

人びとは絶望しています。帰還は遠くなるばかりです。この状態が続くなら、日本政府にもミャンマー政府に帰還の後押しをしてほしいと思います。昔から日本は、ミャンマーと友好な関係を築いてきました。もし日本政府が帰還の働きかけをしてくれたら、と期待しています。それから、キャンプでも高等教育を受けることができるようにしてほしい。大学に入る年の子たちが勉強もできず、何もせずに座って話したりだけの日々が続いてしまっています。

最後にミャンマーでのクーデターのこと、まだ私たちロヒンギャのことについては何も進んでいません。「統一政府」と日本政府が私たちのことも考慮して対応を考えてくれたらと願っています。


ハロン
過去・現在・未来の自画像



ハシナ(仮名)「私たちは幸せではありません」


今、幸せに思うことは、友人や家族と一緒に話したり、楽しい時間を過ごしたりすること。
大変なことは、やりたいことができなくなること、行きたいところに行けないこと。例えば、この暑い時期に冷たい水をちょっとだけ飲みたくても飲めないこと。前の日に運んできた水を飲まなければならないし、水をもらうためにも待たなければならないんです。一つひとつが大変です。新鮮な魚を食べたくても食べられない。家の中はすごく暑いです。扇風機や電気もなく、こんな暑い場所で過ごすのは本当に大変です。それから、コロナの影響で物価が高くなりました。倍以上になっているものもあり、生活は厳しいです。

活動に加わるようになって、いろんなことを学んでいます。ジェンダーに基づく暴力(Gender-based violence: GBV)について、何も知りませんでしたが、トレーニングを受けて勉強しました。人々に保健医療について何かを伝える時に、どうやり取りすればいいのか、怒っている人をどう落ち着かせるのかといったコミュニケーションスキルについても研修を受けました。

みなさんに伝えたいことがたくさんあります。ここにきて3年と10ヶ月が過ぎました。私たちは幸せではありません。ミャンマーに帰って、昔のように農業をやりながら、教育も受けられる、そういう日々を過ごしたい。キャンプでは教育がないので、私の3人の子どもは勉強することができません。必要な治療を受けることもできません。物価も高く、最低限必要なものも買えません。経済的にも大変です。ミャンマーに一刻も早く帰りたいと思っています。


ハシナ(仮名)
過去・現在・未来の自画像



ジョノット「私たちロヒンギャの声を聞いてください」


2018年からMdMの活動に参加し、様々な活動をしてきました。高齢者向けに、新型コロナウイルス(COVID-19)に関する啓発活動も行いました。拡声器で予防法を徹底的に呼びかけたり、モスクで新型コロナウイルスやそれら感染予防策について伝えることで、より効果的な啓発活動が可能になります。時に困難もありました。キャンプ住民にCOVID-19について知ってもらうことの難しさが第一にあります。IPC(感染予防と管理)、例えばマスクの着用、手洗い、密を避ける、これらが感染予防になると理解し実践もらうこと自体が大変なのです。ここでは、大家族で小さな居住スペース(シェルター)に住んでいる人も多く、密を避けることは簡単ではありません。中には、アッラーの教えに従わないと感染するといったような噂が飛び交い、伝え知ってもらうことの難しさを感じることもありました。。そういった噂に対しても、同じ信仰を持ち同じコミュニティにいる私たちが一つひとつ伝えることで、またコミュニティで影響力を持つマジやイマムに協力してもらうこと、少しずつCOVID-19に対する認識を変えてもらうことができました。

活動自体に参加できること、日々の仕事を楽しんでいます。映画を観たり、たくさんの友達と過ごした楽しかったミャンマーでの日々を思い起こします。活動を通して、年配の人たち、若い人たちと交流し合えること、なによりたくさんのことが学べる機会があることも、私にとっては大切なことです。ここにいれば、コミュニティの1人でいられるし、安全だと感じられます。 

それでも、私は難民です。教育を受けることができません。教育を受けるために他の国へ行くこともできません。ミャンマーでは、高等教育を受けるための制限がありましたから、他の国で勉強することが出来たとしても、ミャンマーへの帰還が叶ったとしてもついていけるか心配です。

2018年にトルコでの奨学金助成に応募しました。薬学を希望し、面接などまで進んだのですが、最終的に希望は通りませんでした。その後、COVID-19のパンデミックの影響で募集は中止されているようです。ミャンマーでは高等教育を受けることができませんでしたし、ここバングラデシュでも今のところその機会はありません。
ミャンマーへ帰還して大学へ行けたらと願います。もし帰還となれば、市民権が付与されることが大前提です。できるだけ早くミャンマーへ帰ることができれば、近い将来を見据えて、自分自身の人生を組み立てることができる、それが希望です。

ミャンマーから避難した直後は、心を休める時間が必要でした。多くのことを失いましたから。活動に参加した当初は、専門的な知識も経験もありませんでした。ミャンマーで学生だった私でしたが、ここで多くの知識を得ることができ、それを活かすことができるようにもなりました。防災知識、衛生環境に関すること、ジェンダーに基づく暴力 、メンタルヘルス、マラリアやデング熱、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。知ることもなかったライフスキル 、これも大きな学びでした。
MdMの活動は私に自信をもたらしてくれています。これからも学び続けていきたいです。

キャンプには、糖尿病、高血圧、肺疾患などの非感染性疾患に苦しむ人が多く、今はそれらの疾患を予防するための啓発活動を行っています。もっと活動範囲を広め、多くの人が治療を受けられるようにしてほしいと思います。脆弱な人たちへの支援を続けてほしい。人々の健康に対する意識が変われば、合併症なども防ぐこともできます。より健康的な生活と環境を創っていくことができます。

国際社会のみなさん、私たちロヒンギャコミュニティの声を聞いてください。過去3年、声をあげてきたつもりでしたが、帰還についてもなんの進展も見られなかった。もうこれ以上、ここにはいたくありません。
キャンプを見て、状況を見てください。私たちがこの狭いスペースで、どのようにして暮らしているのかを。コロナ禍にあっていかにここでの生活が厳しいものか、難民キャンプの仮の住居で、密な居住空間で、私たちロヒンギャが難民としてどう一日一日を生き延びているのか、国際社会に伝えてください。1日も早く母国への帰還が実現するように。

最後に、危機当初から私たちロヒンギャコミュニティを支援してくれていることに感謝しています。活動を通じて、ここにいる人たちの多くが健康やライフスキル について学ぶことができたと思います。誰かが学んだことを、家族や友人に伝え、それが拡がっていっていると思います。そうした積み重ねが、ここでの人々の生活を改善することができ、感染拡大を予防していることになっているのだと思います。
この活動と機会を与えてくれたことに心から感謝しています。


ジョノット
過去・現在・未来の自画像



サンジダ(仮名)「ここでの私たちに自由はありません」


今、どんな活動をしているのかというと、いろんなことをやっています。今日は、先日行った調査をもとに啓発ポスターを作ります。住民がわかりやすいものにしようと思っています。活動では、将来のためになることをたくさん学びました。メンタルヘルス、ジェンダーに基づく暴力(Gender-based violence: GBV)、コミュニケーションスキルなどです。

うれしいのは、映画を観たり、みんなと会って笑顔で話すこと、楽しい時間を過ごせることです。逆に大変なのは、暑いこととキャンプはどこもかしこも人が多くて混み合っていること。ちゃんとした医療も受けることができないですし、教育もない、仕事もほとんどありません。それからキャンプの外へ出ることができません。

ここでの私たちに自由はありません。ミャンマーにいた頃を思い出すと悲しくなります。ミャンマーで築いた財産や家を返してもらって、昔の生活を取り戻したい。ここでは学校も行けないのです。子どもたちのためにも、ミャンマーへ帰りたい。


サンジダ(仮名)
過去・現在・未来の自画像



アミナ(仮名)「私にも夢があります」


MdMの活動に参加するようになって、コミュニケーションの方法、トラウマを抱える人との接し方を始め多くを学ばせていただきました。社会の問題を意識するようにもなり、将来の糧になると思っています。

今、幸せだと感じることは、 友人や兄弟、両親と話し、みんなで楽しい時間を過ごせること。
ここではあまり幸せを感じることがありません。生活は厳しく、家族全員が仕事をしなければならないので、家族と過ごす時間があまりとれません。私はこの活動で、こうして友達と会えることがうれしいです。

キャンプに住むこと自体が大変な毎日です。提供された住まいは狭すぎます。家族が多くても少なくても、同じ大きさなんです。キャンプの衛生状況は悪く、どこも混雑しています。コロナの影響でロックダウンが実施され、交通手段がなくなってしまって、キャンプ内の移動にも苦労しています。米などの配給も、女性一人で歩いて運ばなくてはなりません。肉1㎏が700タカ(900円)から1000タカ(1,300円)という具合に、物価も高騰しています。とにかく暑いです。雨季は道がぬかるんで歩くのも大変です。

早くミャンマーに帰りたい。子どもたちが勉強せず、大きくなってしまっています。犯罪に関わってしまう人もいます。昔、教育を受けた人々は高齢になり、知識のある人がだんだん少なくなっています。若い世代は、教育を受けることができません。私にも夢があります。教育を受けて、医者や先生になりたかった。でも状況が悪化し、その夢を叶えることができませんでした。

ロヒンギャの子どもたちの未来のため、市民としての権利を取り戻し、一刻も早くミャンマーに帰れることを願っています。


アミナ(仮名)
過去・現在・未来の自画像



ナシマ(仮名)「子どもたちの将来を奪われたくないのです」


60才以上の住民のために、健康に関する啓発活動を行っています。チラシやシナリオを使って教えるのです。家族計画やNCDs(高血圧や糖尿病などの非感染性疾患)などについても勉強しました。
みんなと冗談を言い合ったりして笑う、そういう時間を過ごせる時は幸せを感じます。

キャンプでは大変なことばかりです。私の子どもたちは学校へも行けず、教育を受けることができません。小さい子ども用の学習センターも、コロナの影響で閉まっています。また、キャンプは子どもたちにとって安全な場所ではありません。住まいは狭くて、夏は暑いです。雨季は更に大変です。雨で荷物は濡れ、すぐに浸水するため床は水浸し、モンスーン期には、脆いシェルターは強風で吹き飛ばされることもあります。心臓が止まる思いです。また、キャンプ人口に対しトイレが少なく、男女関係なくトイレに長い列を作って並ぶことがあります。苦労があり過ぎて、すべて言い表すこともできません。

とにかく、私たちの権利を手にし、自分の国に帰りたいです。ミャンマーでは、家も財産もあり、子どもたちは自由に走り回ることもできました。子どもたちの将来を奪われたくないのです。どうか正義を与えてください。


ナシマ(仮名)
過去・現在・未来の自画像




そして日本からの証言



難民キャンプでの大変な生活にも関わらず、日々、明るい未来を願って前向きに生きるロヒンギャの女性たち。同じロヒンギャ女性として彼女たちの努力と前向きな姿にとても励まされます。すべての人間は、よく生き、よく食べ、教育を受け、治療を受け、自由に生きる権利があります。誰しも難民キャンプに住んでいいはずがありません。 彼らが母国ミャンマーで平和で、自由に、幸せに暮らせる日が早く来ることを願っています。


日本に住むロヒンギャのカディザ・べゴムさん
-今回、女性ボランティアたちへのインタビュー翻訳の協力をいただいた




日本の100倍以上の人口密度の過密なキャンプ1での彼らの生活はもうすぐ5年目を迎えようとしています。キャンプからは空を飛べるのであれば、すぐに行けると思われるように故郷が臨めます。バングラデシュ政府はこの過密状態を緩和するためとして60キロメートル沖合のバサンチャールという島にインフラを整備し、現在、約1万8千人がこの島に住み、最終的に計10万人が移転するとの計画です。現地NGOなどが支援を提供しているものの、不十分で、さらなる食糧支援・医療支援、女性への性暴力に対する保護などの必要性が指摘されています。

バングラデシュ政府や人々による100万人ものロヒンギャの人々の受け入れや彼らへの支援は称賛すべきものですが、難民生活の長期化に伴い、ロヒンギャの人々と地元住民との軋轢が増加し、政府は「ロヒンギャの存在は安全保障上のリスクである」として彼らの帰還への支援を国際社会に訴えています。また、キャンプへの鉄条網設置が進められ、あたかも「封じ込めと隔離」政策が進められているようです。他方、先の見えない生活、治安悪化などに伴い、多くの人々がマレーシアへの渡航を試みます。しかし、多くの場合、彼らは人身売買業者に多額のお金を支払い、粗末な船でぎゅうぎゅう詰めにされ、インド洋を漂い、水・食糧不足や暑さなどにより途上で亡くなる人が出て2も、渡航を目指した先の政府には入国を認められないという状況が起こっています。

けっして明るい見通しはありません。しかし、ロヒンギャが迫害を受け、辛苦に耐え続けねばならないことはやはり不当であり、もし自身が彼らであればと思うと心が痛みます。彼らも同じ人間で、健やかに安心して楽しく暮らす権利があります。これに対して、世界の医療団は彼らに寄り添い、彼らが健康を維持・増進し、必要な保健医療サービスを受ける権利を享受することを支援します。

目を世界に転じれば、人口の100人に1人以上の8,240万人もの人々が難民、国内避難民などとなって故郷や住処を追われています3。このような状態が放置されてよいわけではけっしてありません。簡単には解決策が見つかりませんが、さまざまな人々が協力を進めていく必要があります。

1日でも、遠くにいるが同じ地球に住むロヒンギャや他の難民・避難民の人々に思いを馳せてみてください。


ロヒンギャ難民コミュニティ支援プロジェクトコーディネーター
中嶋 秀昭


1 1平方キロメートル当たり4万人以上(日本は341人)
2 200人以上が亡くなっていると言われている。
 Abandoned at sea: The desperate journeys of Rohingya refugees | Kontinentalist
3 UNHCR – UNHCR: World leaders must act to reverse the trend of soaring displacement

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