世界の医療団 日本 理事長 ガエル・オスタン インタビュー

1995年以来、世界の医療団 日本の理事長を務めるガエル・オスタンのインタビューです。

世界の医療団 日本 理事長 ガエル・オスタン インタビュー

国内と海外両方の活動を続けていきます。



■世界の医療団に参加した経緯を教えてください。


きっかけは、阪神淡路島大震災です。当時、インターネットはそれほど普及しておらず、携帯に速報がくることもなかったですし、会社に出勤していてニュースを見ていなかったのではじめは気付きませんでした。お昼になり食事に出たときに、町中がこの話題だったのでようやく気が付きましたが、どの程度の被害が出ているか被災地の情報は東京ではまだ入っていませんでした。

午後2、3時ごろ、フランスの早朝に知り合いから電話がかかってきました。「世界の医療団でボランティアをやっているものですが、あなたのお名前を知り合いから聞きました。最近発生したメキシコやイランの大地震の支援の為に、緊急援助団体を送るので、日本にも送りたい。手伝ってもらえないか」と。当時、私には経験もなかったので、まず外務省に問い合わせてみたところ、外務省としては、「外国人の日本の免許を持たない医師は日本国内で活動できません」と断られてしまいました。そのため、一旦は受け入れを断ろうとしましたが、「日本のNGOなど知っているところがあればそこにお金を送りたい。世界の医療団の代わりに間に入ってもらえないか。」と言われました。調べてみたところ岡山にAMDA(アムダ)というアジアで活動する医療援助団体があったので、そこに電話して世界の医療団からこのような申し出があると伝えました。はじめは断られました。しかし、もう一度なんとかしてほしいとお願いしたところ、「世界の医療団は海外での豊富な経験があるのでそれを生かして、私たちの補助活動をして頂けると思います。うちの医師と連携して活動してもらいたいので来てください。」との提案があり、さっそく翌日には関西空港に医療団のメンバーを迎えに向かいました。

2つのグループが、のべ一週間程度、長田区役所のいくつかの避難所周辺の衛生状況などを分析しました。また、特に地下水が汚染されていたこともあって、伝染病が拡大する懸念から衛生対策の専門家もフランスから到着しました。直接の医療支援はできませんでしたが、少なからず貢献できたと思います。

その後、日本でのボランティア運動の継続の必要性を感じ、世界の医療団 日本を作ろうということが決まり、私が責任者として引き続き手伝うことになりました。それがそもそものきっかけです。

世界の医療団 日本 理事長 ガエル・オスタン インタビュー

■その後、18年間も活動を続けたのはなぜですか。その間に変わったことは何ですか?

世界の医療団の特徴というのは、活動拠点が災害のあった場所だけではないことです。長期に渡り教育支援活動や基礎衛生のための活動などもあります。そのためいろいろな画期的なプログラムが生まれます。例えば、スマイル作戦というプロジェクトでは、特に子どもの形成外科手術を行い、海外の形成外科が不足する地域であっても子どもたちが手術を受けることのできるプログラムとなりました。

阪神淡路島大震災のときには、水運びを手伝ったり、お年寄りの介護をサポートしたりするボランティアの若者が全国から数多く集まってきましたが、地域は限定的でした。もちろん死者負傷者は多く被害は甚大でしたが、大阪など周辺都市の病院等は機能していたこともあり、医療システムの復旧という意味では思いのほか順調に回復しました。

一方で、被害が広範囲にわたる東日本大震災の場合、復興までの道のりは原発事故のこともあり、さらに長くかかる可能性があります。インターネットの普及などにより、一般の方々の目にもテレビ等では報道されない衝撃的な被害の様子が伝わり、個々人が自分の判断で募金や掃除の手伝いなど、できることは何でもやろうというムーブメントが生まれ、つながりや絆をはぐくんでいると思います。この20年の間に、日本を取り巻く環境はかなり変わったと思います。

第9回スマイル作戦バングラデシュ活動報告

■今までの活動のなかで一番苦労したことは何ですか。

苦労したことはたくさんあります。一番大変だったのは、世界の医療団のボランティアがエチオピアで武装集団に誘拐され、そのままソマリアに連れていかれたことです。その後無事に解放されましたが、ご家族や日本のみなさんがとても心配されて、事件発生後の数カ月は、私にとっても非常に大変な時期でした。

また、世界の医療団には、日本人のボランティアの医者、看護師を含め大勢の方からのご協力を頂いて活動していますが、どうしても長期のミッションに(2~3か月)に参加することになりますと、日本の商習慣上では難しいこともあり、はじめは頭を悩ませました。2週間ならいけるといったことはあったので、スマイル作戦などは、こうした日本特有の事情に合わせることにしました。結果として短期集中型の日本独自の性格のプロジェクトになりました。


世界の医療団 日本 理事長 ガエル・オスタン インタビュー

■今後の課題は何でしょうか?

フランス、イギリス、スペイン、ギリシア、どこの世界の医療団であっても、各国内でのミッションは重要です。各国内において、社会保険のない方、移民や難民、ホームレス状態の方々のケアが必要です。日本の場合も同様で、外見からは分からない心の病気、精神的な疾患を持った方などで、病院に通うことができずに悩んでいる方は水面下に大勢いらっしゃいます。その方々に対してどうやってケアをすることができるのか。日本の医師・看護師を中心にこれからも活動を行っていきます。またそれは日本だけでなく、各国共通の課題でもあります。東日本の大震災のあとも多くの怪我人が出ました。日本は途上国に比べると医療サービスは充実していますから、病院等で一時的に患者を収容することはできました。しかし、そのあと数年続くと思われる精神的なショック、いわゆるPTSDのためのケアなどを継続して行っていく事が必要です。これは、これからも続けていかなければなりません。

ラオス小児医療プロジェクト開始

■将来、世界の医療団が世界で果たしていく役割は?

まず、日本の世界の医療団としては、今までよりもさらに日本に根付いた支援団体になりたいと思っています。そのためにも、もっと世界の医療団を一般の方々に知って頂き、理解してもらうことが大事だと思います。先に言及した様々な医療支援活動のほかにも、中学生、高校生で東京に修学旅行にきて、我々のオフィスを訪問したり、実際の活動を体験したりするようなPR活動も行っていきたいです。

一方で、世界的な活動について考えてみると、先進国を含めて世界の医療団へのニーズは(残念なことに)今のところ減っていません。人口も増え続け、紛争や災害、もちろん国や地域によって状況は異なりますが、アフリカでは砂漠化の進行、東南アジアでは様々な水害、ハリケーンやサイクロンによる大きな被害など、解決が困難な問題は山積みです。これらの諸問題に対しての緊急プログラムは継続して実施していかなくてはなりません。

そして、もう一つ力を入れて行きたい活動は教育です。特に「母子教育」です。エイズ対策、基礎的な衛生教育。残念ながらこの問題についても以前にもまして世界的なニーズが高いです。こういった国内と海外両方の活動を今後も続けていきます。


【プロフィール】

オスタン・ガエル(世界の医療団 日本 理事長)

18歳のときに東京に来日。1975年に東京にあるピー・エム・シー株式会社に入社、現在同社社長を務めている。流暢な日本語を操りながら、大手グループから中小企業に至るまで、フランス企業数十社の日本進出に尽力した。1996-99年の間、在日フランス商工会議所の会頭として働き、2005年からはフランス政府対外貿易顧問委員会の日本支部長に就任している。1995年来、世界の医療団の日本支部理事長を務め、現在は東北地方の被災地で、「こころのケア」を中心とした医療支援活動に力を注いでいる。

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