東日本大震災:福島そうそうプロジェクト現地医療活動レポート3

大震災から丸2年目を迎える2月末、今回も福島県相馬市の仮設住宅のサロン活動に参加。

東日本大震災:福島そうそうプロジェクト現地医療活動レポート3
午前中は相馬漁港に面した原釜地区の住民が多く集まる集会所でのサロン活動。 協働している「相馬広域こころのケアセンターなごみ」のスタッフの方達と、住民の血圧測定やフェイスシートによる今日のこころの状態を記入していただく。

今回は紙コップを半分にしたものに、好きな折紙を切って貼り、ひな人形を作ってもらうこととした。そうする中で住民の話しを傾聴する。

集まった住民の多くはやや高齢のご婦人で、ご主人は漁師をしていた方が多い。

震災前は、共稼ぎで、漁港で網の修理をしたり、加工場で働いていたとのこと。

「ときどき、そんな働いていたころの夢を見るんだ」とおひとりの方。

ほとんどの漁師は仕事を辞め、今は瓦礫処理の仕事をしていると言う。

「昔のような大漁で賑わう港街に早く戻るといいですね」と言うと、もう戻らないと言う。加工場の再建問題だけでなく、放射能の風評被害もあり、再開しても魚が売れないと言う。「第一、自分の息子でさえ相馬で捕った魚は食べないと言うんだよ、とんでもないね~」と、明るく言うが、寂しさも滲んでいるように思えた。

午後は原発事故の影響で全村避難している飯舘村の住民が多く集まる仮設住宅のサロン活動に参加。

血圧測定の後、ゴムバンドによる運動でリラックスした後、折紙を折ながら、参加した方々のお話しを傾聴する。「牛がXX頭以上居たんだけれど、全部、他の県の知り合い(酪農家)に譲ってしまった。セリに出したらとても安い値段になってしまったと思うので、まあ、よかったけど」。「うちは農家で、無論、野菜など買ったことは無かったけど、毎日畑の手入れで忙しかった。けど仮設の今じゃ、やることなくて退屈なんだ。まあ2日置きに犬と猫の餌をやりに飯舘村の自宅に戻るくらいかな。でも、やっぱり動物は可愛いね」など、それぞれの思いを口にされる。

原釜地区の人も、飯舘村の人も、もう震災前の状態には戻らないのではないか、またいつまで仮設暮らしが続くのか、と言った先の見えない不安を抱えながら日々を過ごされている。が、忘れてない、というメッセージをしっかり伝え、これからも支援活動を続けていければと思います。

世界の医療団 看護師 神山友里

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