シリアから ― 声なき声を聞いて

シリアで唯一の緊張緩和地帯かつ反政府勢力の支配地域であるイドリブでは、2月より軍事的緊張が再び高まっています。この9年、同じことが何度も繰り返されてきました。

人道支援団体として、私たちはシリアにいる人々の聞いてもらえることのない、かき消されてしまう声を伝える義務がある。紛争地に留まって治療し続ける医療チームからの声。医療を求める人々の声。爆弾と空爆が降り注ぐ明日の命も知れない生活をおくるシリアの人々の声。

トルコとロシアによる軍事外交戦略ゲームの駒のひとつとなってしまったイドリブ。
もつれ合う軍事外交から緊張緩和に向けた外交交渉や調整が続いた結果、宣戦布告ともとれる非人道的な戦闘行為、これもゲームになる。悪化の一途を辿るばかりのイドリブの残された市民。

イドリブ県は農業が盛んな地域で、内戦前の人口は150万人。アレッポ、ラタキア、ハマー、ホムス、ダマスカスなどとの主要都市を結ぶ幹線道路に位置し、イドリブ、マアッラト・アン=ヌウマーン、サラキブ、サルマダなどの周囲の商業地域から経済的恩恵を受けていた。現在、イドリブには2012年以降、国内避難民となった最大400万人が生活する。そのほとんどが繰り返し何度も住み処を追われた人々。
最も貧しいとされる層は、トルコ国境沿いのオリーブ畑で防水シートの下、暮らす。疲弊し、精神的にも極限状態にあるのが、9年におよぶシリア紛争を取り巻く権力闘争の犠牲になったシリア市民の現状だ。
絶えず悪化する状況にも関わらず、人々は生活再建に向け日々を過ごす。イドリブの子どもたちは、子どもらしい日常をおくることができていない。激化する軍事作戦、終わらない生活再建にも女性たちは耐えかねている。男性は、尊厳を失い、家族を守ることができなかったことに罪悪感を抱く。

これら声なき声(サイレントボイス)を聞き理解してくれる世界は、イドリブの外にあるのでしょうか。 
ロシアによる爆撃、シリア軍の樽爆弾、ドローンやミサイルがイドリブの街に降り注ぎ、シリア軍による略奪、武装グループや民兵による日常的な暴力・・・声なき声はその怒りにかき消されてしまう。
今年に入り100万もの人々が、イドリブ南部から北部への避難を余儀なくされている。何年もの間、黙秘を貫いてきた国際社会、イドリブ市民の誰一人として国際社会をあてにはしていない。

病院が意図的に破壊され、医療が、MdMのチームがその標的になった。医療への暴力に対し、私たちは無力です。もはや国際人道法に効力はない、皮肉にも国際社会がその事実を受け入れている現状。
法は、人道支援活動を保護するはずのもの。無責任で無能な権力者たちによる破滅的な大義の犠牲になっているのは、市民。市民は声を上げることができない。実際に起きていることがグローバル市民社会によって知らされ、彼らの耳に届く。

シリア内戦とシリア周辺国を巻き込む国際紛争へとなってしまった今、イドリブ市民の声はかき消されてしまう、軍事力でしか物申すことができない国々によって。

シリアの中央政府にとっては、国内外避難民による人口変動もまた、政権基盤を安定させる戦略のひとつ、避難民の帰還には関心がない。今に始まったことではありません。
紛争勃発から5年、人口の三分の一にあたる700万人以上がシリア国内から追いやられてしまった。更に数百万人をイドリブからトルコへと追いやることに成功し、欧州要塞の壁を打ち砕くことができるならば、それは大きな勝利をアサド大統領にもたらすことになる。

そして、皮肉にも独自の役割を演じるロシア。政権軍のシリア全域での制圧を図り、2019年12月から再び攻撃を開始した。難民となった人々がトルコ国境に大挙して押し寄せ、それはトルコへの圧力となり、更にはNATOと欧州への脅威にもなりうる。

トルコのエルドラン大統領は「難民が帰還し安定した生活をおくることができるよう、欧州全体でその負担を分担すべきだ」と発言、2月末より欧州へと難民の波が押し寄せ、現実となったヒドラが欧州をも揺さぶる。

一方、米国はと言えば、トルコとロシアのイドリブ処遇を巡っての交渉決裂、国防総省と軍中央がトルコ支援のための軍事行動に積極的に踏み切らないことから、このゲームからの駒を下げてしまったようにも見える。

少なくとも、いやたった14人の欧州各国の外務大臣が2月26日、この事態を非難したが、ギリシャ国境への難民流入の現実を見れば、それも短絡的、楽観的な思考だったと今は言える。
一部の動画でも証明されているように、壁を建てても、通信を制限しても、暴力さえも、絶望的な状況に置かれ機会を奪われた人々には通用しない。

難民政策は、実際のところ随分前から進められてきたものの、完全な失策だったと言える。現在、割り当て分の難民を受け入れる「クォータ制」による難民受け入れを多くのEU加盟国は拒否、ギリシャの島々の屋外収容所は難民でごった返している。レスボス島のモリアキャンプやサモス島のバティなどの「ホットスポット」と呼ばれる地域では、非人道的かつ密集した環境下で難民が過ごす。
2015年の難民危機発生時、EUの難民に対する取り組みの象徴のひとつとしてあったこれらキャンプでも、最も基本的なサービスへのアクセスさえ現在は、保障されていない。そして、難民だけでな、島民も、耐え難い状況に置かれている。
今、欧州では新たな難民危機に直面している。有刺鉄線や海で死んでいく人たちをよそに、難民はトルコと欧州の交渉カードにされている。今や欧州は、2015年にもおよばず人道精神を失ってしまったように思える。目の前で起きている非人道的自体に無関心である欧州そのものが、耐え難く苦悩に満ちている。ヴィクトル・ユゴーが夢見た友愛の精神が、もはや欧州の人々のこころを打つことはないのだろうか。

人道支援団体として、人道主義者として、私たちはできることをする。が、欧州主導の真の外交にとって代わることはできないのだ。人道的見地による嘆きや国際社会の正義感を問うことよりも今、必要としているのは外交努力。イドリブでの軍事行動に関するロシアとトルコの交渉においても、欧州による外交関与が今こそ必要なのだ。欧州にはその実現のための外交力も経験もある。

私たちは行動しなくてはならない、シリアから響く声なき声のために。


世界の医療団フランス理事長 Dr. Philippe de Botton
世界の医療団フランス事務局長 Joel Weiler
世界の医療団フランス副理事長 Fyras Mawazini
世界の医療団フランス シリアミッション責任者 Philippe Droz-Vincent

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