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福島いわき水害被災地から:聴くことから始まり聴くことに終わる活動でした

台風19号、豪雨でいわきの街の河川が決壊、市内数カ所に水害をもたらしました。床上浸水、濁流に飲み込まれてしまうかもしれない恐怖と不安を経験した日から3ヶ月が過ぎ、その影響は様々な形で今も色濃くいわきの街に残っています。
発災から約3ヶ月、現地での活動を終えた世界の医療団のスタッフ2人が被災地の今を語ります。

小松原:
避難所では行政と避難者たちとのコミュニケーションがうまくいってないように感じた。
12月半ば、避難所に残っている方たちは生保受給者、シングルマザー、男性の単身者、低所得者の人が目立った。
年末で避難所を閉めるという話が出て、小さな規模の避難所はその話がすぐに伝わった一方、当時80人くらいいた避難所では誰にも伝わってなかった。大小の避難所で情報共有に格差があったと思う。

冨岡:
避難所ごとの管理者によって、その避難所の雰囲気や体制が変わっていた。


1日を過ごす場所を考えることの重み

 
小松原:
年を越した辺りから、もうすぐ閉まってしまう、1月末まで出なきゃいけない、という焦りを避難所にいる方たちから感じました。
1月末までだと思っていたのが、25日になって焦ってきた感じ。自分たちで借り上げ住宅を見つける方も多かったかもしれない。

冨岡:
経験のない被災と今後の不安から、法律などの専門家に話を聞きたいという声を多く聞きました。

小松原:
個別のケースにあわせてどんな支援があるのか、理解していない方も数多く見られた。

冨岡:
避難所を出てからの、経済面含め生活再建に向けたサポートや情報提供の場があるといいなと思いました。

小松原:
新年を迎えたあたりから、お金の不安、こころの不安、退所に向けた不安を聞くようになってきた。
たとえばシングルマザーの不安のひとつは学校に行きたくないという子ども、子どもが安全にいられる場所が避難所だった、それがなくなった場合の不安。
『子どももきちんとみてあげられるのか。避難所を出たら私自身はどうなるのかわからない』

避難所にいる方たちと話すと、被災したことだけでなく、もともと抱えていた悩みが被災と複雑に絡み合っていることがわかった。
彼らが伝えたかったのは、避難所が快適だったわけじゃない、避難所を出ることでともに時間を過ごした人たちやボランティア、話し相手がいなくなった時に自分をどう保てばいいのか不安だということだったのだと思う。
生活を建て直すにあたってのお金だけの問題じゃないんだ、言葉に出すことで、話すことでこころや頭の中が整理できていくことを目にした。


『水害があって、今、人という資源があって、SOSを出せば助けてもらえることがわかった、不自由だったけど、避難所にきてよかった』


小松原:
避難所生活を締めくくるような言葉が出てきましたね。


長屋コミュニティとお風呂に入れなかった男の子


冨岡:
避難所って長屋みたいな付き合いだな、と感じました。
避難所にいるある小学生の男の子が銭湯にいくバスに乗ったのはいいけど、銭湯の入り方がわからなくてお風呂に入れなかった。その男の子は父親がいないんですね、それを知った同じ避難所にいるおじさんが一緒に行って教えてあげるといってくれたと、その子のお母さんが話してくれました。
長屋的コミュニティだなと。 

小松原:
拡大家族、大きな家族。
ある方が言っていました。『避難所は安心・安全な場所、みんなが被災者だから説明する必要がないと言ってた』


被災した人と被災しなかった人、被災地に起きてしまう分断と格差


インタビュー
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冨岡:
いわきって被災地とそうでない地域がはっきり分かれている。

小松原:
『発災直後、水害被害がひどく外出できる状態にないから会社に行けないと電話したところ、なんとか来てくれと、理解してもらえなかった、ボートが手に入れば行きますと言ってやった。毎回、会社に行きたくても、車もバスも通れないということを説明しなくてはいけなかった』とある方からそんな話も聞きました。


ガハハと笑い、明るくて、いつもいつもみんなを労ってくれていたある人が突然いなくなってしまった


小松原:
ストレスが人に与える影響をきちんと理解していないことが自分にもあった。
あるおばあちゃんはどうしても共同生活に慣れない、と話していましたね。過渡期を過ぎれば、避難所は会話も多くて、子どもが遊んでいたり、一見楽しそうに見えることもなくはない。
ある避難所では3ヶ月間で3人の方が亡くなりました。
避難所には高齢者、持病がある方、障害がある方がいて、生活リズムの違いがあって、そこが盲点だった。避難所生活するなかで、仕事して、睡眠時間が少なくて、どんなにストレスだったかと思うとそこを気付いてあげられなかった後悔がある。

冨岡:
亡くなった人のなかには若い人もいたこともショックだった。若いから大丈夫って思ってしまっていた部分が自分にもあった。


避難所のあり方を考えてみた


小松原:
その方の死を受け止めた時にいろいろ見えてきたことがあった。
視力がない方が一般の避難所にいる状況、透析、糖尿など配慮が必要な方への対応ができていなかったこと、居住スペースの配置もそう。バリアフリー、トイレ、照明や室温、消灯時間、そういう配慮、改善すべき点がいろいろあると思う。子どもや大人、仕事、年齢、受験生それぞれが生活空間が違ってそこはストレスになる。
長期間時間をすごす避難所のあり方を考えないといけないと思う。 

冨岡:
福祉と一般の避難所の間、中間的な役割を担う場所や配置の調整が必要だと思いました。

小松原:
もう少し流動的に運営できたらよかったとも思う。 

冨岡:
お風呂もバスの待ち時間が40分、高齢者にとっては難しくあきらめている方も見かけた。

小松原:
食事の時間、薬の時間、それぞれの時間があって、人が生活している場であるということが重視されていなかったような気がする。
何もかも揃えてあげることではなくて、被災した人の気持ちや生活に寄り添える場にすることが必要。


在宅避難者もたくさんいる


インタビュー
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小松原:
今回の災害で被災して避難所にいる方の多くは、平屋の住宅の方が多かった。

冨岡:
2階建ての方は在宅避難されてる方も多いですね。

小松原:
自分一人だったら避難所に避難したけれど、高齢の両親を連れて避難できなかったという人も、それから東日本大震災の被災者の方もいました。

小松原:
少なくとも避難所にいれば当面の衣食住に困る人は少なかった。行政の運営でない自主避難所もあった。 

2階に避難した人が避難所に移るケースは少なかった。 
いわき市では一般のボランティアが不足していたようで、その中で家をどうにか片付けたいという思いもあったのではないか。
高齢の住民が自分たちでなんとか片付けをしていらした。必死だったと思う。
床板を外し、泥かきをして。 

冨岡:
一階の床板がない=地面が剥き出しになった家は想像以上に冷えます。ほとんどの被災家屋では給湯システムがダメになってしまった。エアコンの室外機も。

小松原:
とにかく寒い。お湯が使えない。今もお湯がでないところが多い。料理もできない。お店も被災していて食料も手に入りにくい。
調理できないから今もおにぎり、パンの人が多い。温かな食事がとれていない。経済格差が背景にある。 

冨岡:
車もそう。水没してしまった人もいるし、もともとない人もいる。家の修繕やいろんなものを買い直すなかで車をポンと買い換えることもままならない。車がないと大きいもの、家具や暖房も買いにいけない。


床もないお湯もない東北の冬、こたつだけで過ごす高齢者の方たち


小松原:
ほとんど在宅避難の高齢者はこたつのなかで一日中過ごしている。
ある炊き出しの現場でストーブが欲しいと言っていた高齢の女性、暖房がこたつしかない人も多い話をしたことから、その場にいた東京からの一般のボランティアの方が石油や電気ストーブをすぐに送ってくださった。
戸別訪問するなかで、ストーブを取りに行けない人たちに届けることができました。 
送ってくださった方のその思いも一緒に渡したら、涙ぐむ被災者の方もいらした。

冨岡:
ありがとうございました。


支援する人たちのつながりからも支援が生まれたり


小松原:
物を介して、たとえばラジオであったり、ストーブであったり、人が動き出せる、そういうケースに出会った、いろんな支援団体の方にたくさんの物資を提供していただいた。そういうあたたかさが物資を通じて伝わったからだと思う。

冨岡:
ラジオの方は庭で呆然と座っていられたんですよね、初めてお会いしたときに。ラジオが手に入ったことで、情報も入るようになって、今はご自身で家の復旧をしている。 

冨岡:
はじめてここに来た時に被災地だとはわからなかった。
被災されたみなさんは、なんとか生活を取り戻そうとしている。まだ終わってないということ。
それにはまだ必要なサポートがあるのではないか。

小松原:
災害って被災者ということばでひとくくりにされるけど、ひとりひとり違うストーリがあった。
東日本大震災や常総の水害、いろいろ関わってきたけれど、今回は本当に何もないところから始まった活動だった。
地元の支援者たちにとにかく助けられた。
これからの災害支援においては、支援者同士が協働することが新しい形なんだ、と身を持って経験し学びになった。

こころのケアって後回しにされがちだけれども、今回もやはり発災当初から必要なケアだと感じていました。でもこっちにできることはないんです。被災した人たちの発する声とこころの声を聴くこと。それには同じ人が、同じ場所にいることが大切だと実感しています。

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