東日本大震災:現地医療活動レポート2

各避難所の現状 ~支援者支援という課題~

東日本大震災:現地医療活動レポート2
世界の医療団が「こころのケアチーム」の一端を担い、被災者支援に当たる中で、様々な避難をされている方々の現実が浮き彫りになりつつある、その現場に直面する。

ある中規模(100人前後の避難者で構成)避難所では、元々地域の相談役となっていた夫婦が、避難所でもリーダー的役割を担っていった。避難所に残る人々には高齢者が多く、80歳を超えるような方々を丁寧にサポートするような状況に無いことにも心を痛めている。この4週間、日中はただ避難所の外に出ることを控えさせる以外に方法がない、身体が弱った方々が、身動きが取れないためにさらに弱っていく。それを目にしつつ何もできないことは、支援者にとっても心が痛む。避難者100人以上の3食の準備を妻(夫は日中は町の復興支援に追われている)と数名の避難者が毎日準備している。トイレの利用マナーなど避難者間のトラブルにも応じている。自身も被災者なのである。

このような、一部の限られた避難者に長期にわたり重い負担がかかっている状態は、初期でこそ「から元気」をフル稼働させて、「国が何とかしてくれるまでの短期間」と信じて、そこまでだと耐えて乗り切ることができても、それが、数週間~数か月の経過の中で、疲弊しきって重篤な精神状態に至ってきている現状に、私たちは直面しはじめた。本来は自治組織が形成され、班分けや輪番体制が整うことが望まれるが、高齢者の多い避難所では、衣食住の支援に加えて、ケアの量が増えるばかりで叶わない。災害対策の中枢サイドへの状況報告は、頻回にされているが、優秀なリーダーに依存せざるを得ない現状(フル稼働が理由ではあるが運営は順調に見える場所)も確かにあるために、「支援が後回しにされる避難所」になってしまうこともあるようだ。

今必要とされていることは、現在行われているようなボランティア団体による単発の炊き出し(時々の温かい食事が嬉しいという声がある)や、一方的な支援物資の配給に加えて(被災をされている方が必要としているものと、外の支援者がしてあげたい支援との間のミスマッチがある)、継続して毎食の食事を調理する人員や、調理しなくてもそのまま食べることのできる食料など、被災をされている方々の負担が軽減されていく形の支援と思われた。安心した衣食住の支援によってはじめて、自分の支援に気持ちが向かう、責任感の高い被災者リーダーは、周りを大事に思うがために自分のことを後回しにしている。

一方、地元の行政スタッフも、この現状をただ眺めているわけではない。大槌町は地元の保健師の大半が津波にのまれて命を落とした。残された数少ない保健師が、昼夜災害対策本部のある公民館で、地域の人たちの為、休日も返上して奔走している。自身も避難民であり、避難所で食事や入浴もままならないような生活をしながら、である。岩手県の精神保健を統括する、精神保健福祉センターの職員達も、盛岡から大槌をはじめとする各被災地域を行き来して、情報収集、医薬品の配給、保健チームの統括など、多忙な業務に追われている。

このように、被災後の現場に関わる人それぞれが、追い詰められた心理状態の中、日々全力で復興を目指して頑張っている。誰にも責任を問うことのできないこの思いは、行き場が無いからこそそれぞれの心にストレスとして蓄積されてゆくだろう。

「ボランティアセンター」は関係機関に設置されているが、そのスタッフも多様なニーズに対応するために疲弊している状況が垣間見える。避難所の格差、ボランティアのミスマッチを是正するため、そして被災者が今まさに困難に直面しているその現場の声を届けるため、何ができるかを考えることが急務ではないか。

私達はこころのケアチームの一員として、目の前の被災者の苦しみを傾聴し、心理的サポートをすることが重要であるということを日々感じながら活動を続けている。子どもと将棋をうったり、高齢者の髪の毛を洗ったり、水汲みを手伝ったり、マッサージをしたりもしている。一方で、被災地支援に入っている医療者や支援者の多くから聞かれる言葉、それは「東北の人は我慢強い」ということであった。我慢強い人達が、我慢を続けた結果、いつしか心が折れてしまう日が来るのではないかという懸念を、拭い去ることができない。

今後いつの日か復興を遂げ、新たなスタートを切ったとき、一人ひとりの心からの笑顔に出会いたい。だからこそ、今の被災者達のたゆまぬ努力を徒労に終わらせぬため、私達はできる限りのサポートができるようにと、今晩のミーティングでも確認し合った。

現地医療チームより

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