©MdM Japan

Gul (63) ーロヒンギャの証言

話を始めるとすぐに、彼女の涙腺が崩れた。つらいなら、思い出してしまうのなら、無理して話すことはないと声をかけると、話したい、伝えたいと言って彼女は話を続けた。
国際NGOのスタッフとして働いていたからだろうか、男性と比べ、外に出る機会の少ないロヒンギャの女性だが、彼女は気概ある女性であった。自分たちのアイデンティティを伝えなければいけない、その思いを自分の言葉で綴った。

ロヒンギャの証言

あの日、みんな散り散りになってしまった。家族がどこにいるのかもわからなくなってしまった。近所の人とともにバングラデシュまで逃げてきました。そして、あぁ、私の息子と義父が軍とラカインの仏教徒に殺されてしまいました。今は、残された家族6人でここに住んでいます。 

Gul (63) 私はTBA(伝統的産婆)です。ミャンマーにいた頃、Malteser(ドイツのNGO)で働いていました。TBAとしての役割のほか、予防接種、ポリオの治療なども担当していました。Malteserのクリニックは無料だったけれど、あとはある程度お金を積まないと病院では診てもらえない。重篤な疾患を抱え、お金もない貧しい人は、治療も受けられずただ死ぬのを待つしかなかった。

今、私たちが住んでいるシェルターは、不安定な場所に建っているのが心配です。自分たちの手で作りました。竹が支給されただけで、あとの材料はすべて自分たちで買いました。 
病気で体も壊したりもします。身体のあちこちも痛みます。私も夫も仕事がないから、収入がない、お金もないので肉や魚などの栄養があるものは食べることができません。食糧は配給の米、油、豆だけです。料理ができるようガスが欲しいです。
バングラデシュ政府がひどいといっているわけではありません。逆にバングラデシュには良くしてもらっていると思います。

帰還プロセスについては、何も聞いていません。財産をすべて失って、ここへ来るまで7日かかりました。経験した者にしかわからない困難と苦しみを味わいながら、這ってでもここへ来たのは、私たちの窮状を国際社会に伝えるため、正義を問うため。そこに正義があれば、私たちはミャンマーへ帰ります。そのためには市民権と人権が保障されなくてはなりません。国際社会には、人間としての当然の権利が確保できるよう、どうか本腰を入れて取り組んでほしい。ミャンマーに帰りたいんです。

ミャンマー政府は、ロヒンギャを民族として認めてくれません。
私たちはずっとロヒンギャです。いつの時代も。だって日本とイギリスが戦ったのにも、ロヒンギャが関係している、それはロヒンギャが存在していたことを示す証拠になるはず。
なのに、なぜミャンマー政府は急に私たちをベンガル人と呼ぶようになったのか、わかりません。私たちはロヒンギャ。それ以外の何者でもないのです。

©Kazuo Koishi
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最新記事

参加する

世界の医療団は皆様からの寄付・
ボランティアに支えられています。