©Kazuo Koishi

Husson (30) ーロヒンギャの証言

バングラデシュへと避難するその道中、両親を殺され泣く少年を見かけた。バングラデシュまで少年と家族の命を守りぬき、その少年は家族の一員になったという。
想像もできない暴力と迫害に直面した人物とは思えない、彼の穏やかな面持ちと話しぶりに、時折怒りの感情が混じる。

ロヒンギャの証言


©MdM Japan

今年の1月から、MdMのボランティアとして活動しています。
今、ここキャンプで必要なのは学校、特に子供たちへの教育が必要です。支援団体からの支援により遊ぶ場所や勉強する場所はありますが、しっかりとした教育をしなければなりません。経験のある先生もいません。ここにいるほとんどの人の避難生活も既に1年以上になります。子どもたちへの教育が何よりも課題です。これは本当にどうにかしたい。
それとクリニック、一家族大体5-8人、多い家族は12人いて、これだけのシェルターがあって、、、キャンプは人口が密集しています。人口密度に対し、クリニックの数が圧倒的に少ない。必要な人に必要な医療が行き届いていない状態です。

バングラデシュには2017年8月30日に着きました。
2017年8月25日の明け方3時頃、襲撃が始まった。放火、レイプ、子どもが火に放り込まれるのを見ました。暴力は朝の7時ごろまで続きました。私たちが住む家にも火が放たれ、妹がレイプされ、おそろしい残虐行為が続きました。朝の6時頃には、逃げ場がなくなるほど火の勢いが増してきたので、ミャンマーを離れる決意をしました。山沿いの道を進み、軍やラカインの人々に見つからないよう隠れながら、逃げました。食べるものもなく、2日間、山の中で過ごしました。そして、歩いて歩いてなんとか、バングラデシュ国境に到着しました。国境では、警備隊に行く手を阻められました。あまりにも空腹で、憔悴した私たちを憐れに思ったのか、その兵士は私たちにスナック菓子をくれました。その夜、私たちはバングラデシュへと入ることが許されました。

バングラデシュに逃げる途中、一人で歩く少年を見かけました。彼は泣いていました。声をかけると、両親は死んでしまった、ひとりぼっちだと。キャンプへ到着した時には、その10歳の少年も私たち家族と一緒でした。キャンプに着いてから、彼の両親の行方を調べてみました。彼の両親は、二人ともミャンマーで殺されていたことが判明しましたが、誰がどのように殺したのか、までは、今もわからないままです。

私には3人の、8才、6才、3才の子どもがいます。今では、その少年も私の大切な家族、うちの長男です。はい、家族として一緒に暮らしています。
Husson キャンプには同じような境遇の子どもたちがたくさんいる。
私たち家族のように、両親や家族を亡くした子どもたちを引き取るロヒンギャの人々もたくさんいます。

2017年8月9日以前までも、ロヒンギャに対する迫害はありました。それでも高額な費用を払うなどの手を打てば、なんとか病院には行くことはできていたんです。でも8月9日以降は、治療を受けることさえも難しくなりました。もし病院へ行ったとしても、ラカイン人以外は何時間も待たされ続け、診てもらえない。新たな迫害が始まった日です。
どうしても医療が必要な場合、バングラデシュへ行く以外に方法はありませんでした。

2015年、妻が妊娠した時も、問題があったので、2人でバングラデシュへと向かいました。
その頃は、お金さえ払えば国境は行き来できました。妻は、臨月過ぎの大きなおなかを抱えながら、バングラデシュまで歩き、国境となる川を渡り、そこで3人めの子を産みました。

多くの人々が犠牲になりました。レイプ、放火、銃撃、、、、ここにいる人は、あの残虐行為から生き延びることができた人たち。ここに命の安全はあるけれど、今も、未来は描けない。

©Kazuo Koishi

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